2006年09月30日

つれづれの話

それは今から○十年前のこと。この日私は大学の寮に戻っていた。

私の大学は7月中旬に試験を終え、当時としてはかなり長い2ヶ月以上にも渡る夏休みを過ごす。
そして寮生は学校が始まる9月29日までに、寮に帰ってこなければいけない規則だった。そして私たちの生活が始まると言うわけ。

2ヶ月も家の中で「夏休み」と称して大学生がのんべんだらりと過ごしていると、通常の生活をしているものにとっては腹立たしいことこの上ないことだったかも?と今になって思うけど、当時の私はそんなことは梅雨とも思わなかった。
・・・そう、この時期になると大抵バトルを交わして、予定よりも早いうちに寮に帰るのがお決まりのパターンだった。

誰もいない寮と言うのもすごいもので、私のいた寮は1フロアに約100名の寮生が同居する。そこに誰もいないことに加えて、音楽等鳴り物禁止(というよりもそもそもコンセントがない!)消灯はいつもの通りだし、電気の消された廊下はトイレに立つのさえ恐いくらい。

家を飛び出して寮に帰ったのはいいのだけれど、うっかり食事をお願いするのを忘れてしまった私は、ひもじいお腹を抱えながら私以外誰もいない部屋で、一人寂しく過ごすのだ。(ああ、思い出しただけでも・・・)


帰省の前はあんなに暑かったのに、閑散としただけでない、そこはかとない涼しい風が吹くようになっている寮。背筋がうっすら寒い気がするのは気のせいだけではないらしい。

そんな寮で、帰ってくるルームメイトやクラスメイト達を迎えるのが私の役目だった。
さも寮名主でもあるかのように振舞って、「いつまで親元にいるのよ〜」と強がって、ちょっと長居をした先輩のように振舞う私。そんな振る舞いをすればするほど飛び出してきた家の様子が気になって、ちょっと自己嫌悪になるのが常だった。

もって来た晩夏〜秋の服はすぐに寒さを感じるようになり、北から戻ってきた友人達は、心なしか秋本番の服を着ていたのが時間の流れを雄弁に物語ってくれた。


一晩ルームメイトたちと旧友を暖め、翌日は別の部屋に移動となる。
懐かしさに浸る間もなく、新しいルームメイトたちとの生活。1夜にして生活がめまぐるしく変わるのに対応できたのも、ある意味若さがなせる業だったのかもしれない。
それまで「常識」と作ってきたものが、一瞬にして崩れ去る瞬間。
2年間在寮した私にとって、それは2回ともすごい衝撃の日でもあった。

アレコレ書き出すと止まらなくなりそうだけど、今朝はなぜだか?一足早く帰ってきた私の目の前に、ふわ〜っと帰ってきた友人K子のことを思い出してならない。今頃どうしているのだろう??


そして私もお引越し。
趣向を変えて新たに出発することにします♪

引越し先はこちら
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2006年09月24日

こんな午後には・・・

こんなうららかな午後には、大学2年の一こまを思い出す。

その日私は朝から「寮子」していた。
寮子、というのは一日中寮に滞在する人種のこと。
その日私は何かとすることがたまっていたので、必要に迫られて寮子してた。
その日のメニューは布団干し、洗濯、そしてアイロンがけ。
当時の私の部屋と言うのは、アイロンをかけるスペースから一番遠かったこともあり、約1時間というアイロンをかけるには半端じゃない時間をかけて行うくらい溜め込んでかけていた。

その週もアイロンがけをしようと思って洗濯物を丸抱えしていくと、タッチの差で誰かに取られてしまう。そんなことが続いていたため、殆どアイロンのために予定を断って寮に残ったと言っても過言ではないかもしれない。

「あら〜アイロン娘さん、ご精が出ますね〜」の寮監先生の声を尻目に、必死になっていた私。お昼近くになって疲れて惰眠をむさぼっていた。


そこへ帰ってきた後輩。
「あれ〜先輩、寮にいたんですか?じゃあ一緒に行きませんか?」
殆ど後輩に誘われたことなどなかった私。「どこ行くの?」
「これからピザの食べ放題の店に行くんですけど。大勢の方が楽しいから。」
・・・そりゃそうだわね。ちょうど疲れてたところだし、何もすることはないし、何よりおなかがすいた。「じゃあ行くとするか!」
2つ返事でOKした後、エントランスに集まった寮生は私を含めおよそ6名。殆ど知ってる顔だけど初顔合わせの集団だ。

いざ出発!新玉川線桜新町駅と世田谷線の世田谷駅の中間地点ある寮なので、歩いて世田谷道に向かう。行き先はPIZZA HUT!
ランチタイム食べ放題ギリギリの時間に駆け込んだ花の女子大生は、信じられないほどがっつくがっつく・・・確か5ピースは食べたと思う。
そして店を出る頃には程よく胸焼け状態になっていた私たち。
なにしろPIZZAに油ギトギトのポテト。おかしくならない方がヘンだ。

すごいなぁ〜と思ったのは、同室の後輩。
「え〜っ?先輩、もう食べられないんですかぁ〜」といった大食漢のYちゃんは、PIZZAの量も半端じゃなかった。確か9枚は食べたと記憶している。
しかも彼女は胸焼けで食べられないで入る私たちを尻目に、その後の夕食もしっかりと食べていた、すばらしい胃袋の持ち主。

しかし異変はすぐに訪れた。
「せ、先輩〜〜。私急におなかが痛くなってきた」と、真っ青になってSOSを発信。
見る見るうちにうずくまり、脂汗が額を流れた。その後トイレの住人となった。
この部屋、アイロン場所には遠いけど、トイレと洗面所はすぐ目の前。
たまに思い出したように「Yちゃ〜ん、大丈夫ぅ?」と、部屋の住人が交代で様子を見に行ってた。


その後彼女の前で「PIZZA」は禁句になった。
Yちゃん19歳、私20歳のこんなうららかな日の出来事だった。
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2006年07月26日

とある雨の週末・・・

Bettyさんのブログを見てたら思い出した話。そう、あれは○年前・・・・

当時私は花の女子大生。
「オールナイトフジ」という番組を通して、女子大生がもてはやされていた時代。
上京したての田舎娘にとって、東京の夜は未知の世界。
そんな娘の目を引いたのは「ディスコ」という文字。
ある意味憧れにも近いその店に、華やかなネオンに吸い寄せられる夏の虫のように、ひたすらチェックを入れる私がいた。

「行ってみたい!」という願望を胸に秘め、一緒に行きそうな友人を探すことしばし。
実はここに秘密があり、当時自宅生の友人と一緒に行くわけには行かなかった私。
ここまでお付合いくださった皆さんはよくお分かりだと思うけど、私は門限にうるさい寮生。
タダの門限じゃないその時間。平日は19時、週末は21時!
おまけに外泊はあらかじめ届出があった宿泊先のみ許可。しかも月2回(帰省を除く)

人というのは不思議なもので、制約があればあるほど羽目を外して振舞いたがる。ダメといわれればますます火がつくというもの。
当時の私もまさにそれで、とにかく「東京でしか味わえない」をキーワードに、何かの体験をしたかった。今となってはソレ=ディスコ、というのも情けない話だけど、そこは若気の至り。
とにかくディスコへ行ってみたい!ということを、だれかれとなく捕まえては口にしていた。

「じゃあ、一緒に行こうか?」と声をかけてくれたのがMika。
その時はダンパデビューだったと思うのだけど、とにかくディスコデビューだわ!
KOKOと3人で、六本木の駅で待ち合わせをして参加。初めて行くその場所のあの大音響は、それまでの私の世界にはありえなかった。
きらめくライトの下で、大声で話をして身体を動かす・・・それだけでいろんなストレスが発散されるのを感じた。


・・・で、どうしたか?それから1ヶ月に1度は必ずお出かけ。
なぜに1ヶ月に一度か?それは明らかに時間的な問題。
週末に一緒に行く寮生を探し出し街に繰り出すのだが、渋谷センター街にあるお店でも20:15には出なければ間に合わない。(渋谷20:32が最終)
これが六本木となると、20:00には駅に向かっていなければいけない。(確か六本木最終は20:10くらいだったか?)
そこから逆算するとオープンと同時に入店(しかも17時台オープン店に限る)しないとどうも割に合わない。

ある雨の週末。
どしても六本木に行きたくて例のごとく友人と繰り出した。入店。
・・・案の定、誰もいない・・・

無人のフロアにはいるのは、かなりの勇気が必要。気を落ち着けるためにフリードリンク・フリーフーズで腹ごしらえをしてお喋りしていると、すぐに時間なんて過ぎてしまう。
空しく時が流れていく中、無人のフロアに流れていたのはガゼボの「アイ ライク ショパン」
外の雨はひどいんだろうなぁ〜とぼんやりと思う中、ず〜っとその曲を聴いていた。
結局ダンスフロアに入っているのは30分程度。一体何しにいったんだろう?(笑)

そして帰り道。靴の中までぐっしょりと濡れるくらいの道をひたすら走る私達がいた。
青春とはこんなものさ、の声を背後に感じながら、まだまだ無限にあると思っていた時間を謳歌していた。



今でも時々今頃の季節になると、心の中のジュークボックスが「アイ ライク ショパン」を奏でる。
まだレコードの時代、それは六本木の駅もまだ配管が目立つ汚い駅だった頃。それから程なくして、「おニャンコクラブ」の女子高生が台頭するちょっと前の懐かしい話でもある。
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2006年07月23日

こんなもの、見つけました

お嬢様の誕生日が近いので、プレゼントを買いにトイ○ラスへ。
そのときに一緒に「世界最小ジグソーパズル」を見つけてしまいました。
1000ピースも入ってA3サイズ!買わない手はない!!

・・・というわけで早速取り組んでいます。
いつ出来上がるのかなぁ・・・
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2006年07月06日

記憶

記憶と言うのは面白い。
以前高校時代に文集を作ったときに、「席替え」というページを作ったことがある。
誰からともなく発案がありそれに乗ったわけだけど、これが意外と埋まらない。
思わぬところで自分の存在を見失ったり、変なところで「あんたはここ」と
指摘を受けたりと、こんなわずかなきっかけでも自分の今の位置や、皆との関係など見えてくるものはたくさんある。

なぜこんなことを思い出したかと言うと、「最後に会ったのはいつ?」と考えていたとき、思いもかけないところであっていたことが判明したから。

私には鳥取に住む友人がいる。
彼女と会ったのは(私の記憶の中では)夏の暑い日に、東京であったのが最後だと記憶していたのだけど、彼女の話では違っていた。
しかも東京で最後に会った日と新潟で会った日の間は約5年。そこから逆算すると私の記憶では彼女と会ったのは約15年ぶりだし、彼女の記憶の中では約10年ぶりということになる。

彼女にそれを伝えられてから「??」が頭の中を駆け巡っていたけれど、そういえば彼女が居たような・・・。何で私はこんなにも彼女の記憶がないんだろう?アレコレ考えてみたら、そのときの強烈な記憶が蘇ってきた。


その頃の私はすさまじいスケジュールだった。
時は10月。当時派遣の営業をしていた私は波に乗っており、9月末から長期派遣者の切り替え〜10月の新規派遣開始などが続いていた。
しかも9月20日くらいまでよりにもよってスペイン〜ポルトガル旅行など行っていたものだから仕事の付けはたまりにたまっており、帰国後すぐからもちろん仕事で連日家に帰るのは23時。ついでに言えば朝家を出るのも7時前という、殺人的スケジュールをこなしていた。

ちょうどTの結婚式の頃はぶちきれそうになる寸前の頃で、Tの結婚式の前日は社員旅行で函館、家に帰ったのも21時過ぎだった。結婚式は新潟で行われた。福島から新潟と言うのは隣県でありながら、車以外で一番早く行こうとすると大宮経由の新幹線が早い(乗り換え待ち時間含めて約4時間)。よって11時の結婚式に行くために、家を出るのが7時前。

もちろん新幹線の中は爆睡・・・といいたいところだったけど、翌日提出する提案書の資料を持って乗っていた私。この時点で「もう殺してくれ〜」と叫びたくなっていたというのが本音。久しぶりに会う友人達に考えが及ぶまで行かなかった。


式場に着いたら懐かしい顔・顔・顔・・・しかし今となっては私には全く記憶がない。
(ごめんなさい、みんな・・・)
先日「あの時会ったよね〜」と言われて蘇ってきた記憶の1つ。それはHのお子様自慢だった。

多分私が到着するまで散々写真を見せていたのだと思う。
そして程よくみなが飽きた頃に私が到着したのだろう。式開始までHの子供の写真とその解説をしっかり聞く羽目になっていた。(当時普段の私なら絶対にありえない話!)
その後も大変申し訳ないと思いつつも、2次会に参加することなく家に帰った私。
結局友人達との再会を楽しむ余地など殆どなかった。とにかく布団が恋しかった。

今となっては殺人的な仕事の忙しさは懐かしい思い出。
でも友人との記憶がぶっ飛んでしまうくらいというのは困るなぁ〜(苦笑)
それでも私、一緒になったことを思い出させてくれた友人との話を少し思い出した。なかなか強烈な話・・・フフフ。

また機会があったらお話させてくださいね〜
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2006年07月03日

昭和最後の日

今日お話をしていた中で、「平成生まれの人が・・・」という話になった。
そうなのよね〜 今の高校生って、ちょうど昭和と平成の境目なのよね(ため息)
・・・で、「昭和の最後は何をしてましたか?」と言う話になったわけ。

私の昭和、最後の日はね・・・
ちょうど美貴と渋谷のミナミスポーツで、スキーのグローブを見に行く約束を
していた。
朝いつものごとく(当時開始したばかりの)J-WAVEをつけたところ、聞きなれぬクラッシックが流れている。
「はて?」と思っていたら、どうやら天皇がお隠れになったとのこと。(いいなぁ〜この表現☆)
そのときテレビがあったはずなのに、どうしてテレビをつけなかったのか?ちょっと不思議だけど、今ゆっくりと思い返してみると「OH!エルくらぶ」が騒々しくやっていたのだろう。結局何の情報にもなりゃしない。
でもって、クラッシックを延々と聞きながら待ち合わせの時間まで準備をしていた。

当時三軒茶屋に住んでいた私は、美貴を待って今はなきフランス料理やさん(名前を忘れた)でおしゃれにランチをして、渋谷に向かったわけだけど、何しろ「歌舞楽曲は自粛」でしょ?
車の騒音と人々のざわめきだけ。どこへ行っても何となくいつもと違う。
グローブを買ってLoftへ言ったところで、(これまた今は亡き)小渕さんがLoftのテレビモニターに「平成」という書を持って「で、で〜ん」と登場。
美貴と「平成だって」「なんて読むんだろう?」って話した記憶が。

美貴と別れてから家に帰っても何となく一人でいるのが嫌になって、会社の同期のSくんを誘って多摩センターのボーリング場に出かけた私。
こちらも「歌舞楽曲」がないから、ただただボーリングのボールの音とピンの倒れる音だけが響き渡る。
どこかで歓声が時折聞こえるものの、私達は2人で出かけているので何となく「し〜ん・・・」

ボーリングも飽きて、結局(これまた)同期のY子の家に押しかけることに。
彼女の家に行って急に3人で餃子を作り出した。
彼女の家には(いわゆる)グリル鍋があって、そこで餃子を焼きながら食べたわけだけど、何を思ったのか?作っている最中に彼女は餃子の具材の中にチョコレートを入れたり、その辺にあった梅干を入れたりしていた。
私は当たらなかったけど、なぜか?バツゲームのようにSくんとY子に当たりまくり、「まずい」「結構いける」と大騒ぎをしていた。

結局彼は餃子をたらふく食べて帰り、私は家に帰る気になれなくて彼女の家で一晩明かす。
レンタルCD屋さんに行ってもやっぱり音楽が流れていなかった一種異様な風景と、当時彼女が借りたCDジャケットを不意に思い出してしまった。
・・・こうして私の昭和、終了。


このとき生まれたBabyが、今や高校生!
先日お嬢様の好きな「天才てれびくんMAX」の主要メンバーの生年月日を何気なく見てたら「1995年生まれ」ってのを見つけて、目が点になった私。
あ〜あ、平成どころじゃなくて、「20世紀最後」に生まれた人たちが活躍するのも目前だわ〜
・・・と思っていたら、わがお嬢様が1999年生まれと言うことにハタと気づく。
彼女こそ20世紀最後のお子様だったのだ。

・・・昭和は遠くになりにけり。 20世紀も遠くになりつつありけり・・・
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2006年07月01日

思いのままに

■今年の夏の浴衣
  「流行りモノ」と言うことで紹介されていた白い浴衣。
  襟元に黒いレースと一見(というよりもモロ)ウエストニッパー風の帯。
  ついでに良く見ると浴衣地には髑髏の絵。
  「こんなのアリ?」というその浴衣、一体誰が着るのだろう?


■夕食
  ピザを作ってみました。しかも生地から。
  たくさんピケをしたのだけど結局膨らんでしまったので、結構モッチリ感
  たっぷりのピザに。
  具はツナ・コーン・オニオン・パプリカ/味噌(大葉味噌)・白髪ネギ
  ツナは子供達が大喜びし、味噌味は大人が大満足。
  どちらもチーズをトッピングして焼いたけど、味噌はマヨネーズを少しでも
  美味しかったかもね。


■雨
  今朝からどんよりとした雲。
  夕方から振ってきたこの雨。どうして月の前半で降ってくれなかった?
  空を見上げながら、そんな恨み言をちょっとだけ。
  九州の方は地盤が緩み、大変なことになっているところもあると言う。
  庭の植物が雨に流されて、緑鮮やかになっている。


■未完了
  服の整理はついてきた。後は書類の整理が必要。
  これは必要、これは不用の別がなかなかつけられない私。
  捨てるのは簡単だけど、そこに書かれている情報をまとめていることが出来ない。
  こうして未完了はたまっていく。
  いつになったら完了するのだろう?(きっと全部捨てたときだな)


■アサガオ
  アサガオの花が咲いた。
  一番先に芽を出したアサガオは、未だ1つも花芽をつけてない。
  そして一番最後に芽を出した、一番ひ弱そうなアサガオにたくさんの花芽。
  しかし最初に咲いたのは、2番目に芽を出した中堅どころのアサガオだった。
  タネを取るところまでしっかり見極めようと思っている。
  どんな種が出来るのか?いくつの種が出来るのか?
  夏休みの観察日記が大嫌いだったけど、実はとっても面白いことに今さら気づく。
  来年はもっと気合を入れて観察してみる(予定)


■デート
  「ね〜Deney'sに行ってないね〜」とお嬢様からのお誘い。
  「ママと行きたいなぁ〜」大胆にもデートに誘ってくれる。
  「じゃあおじいちゃんとおばあちゃんと一緒に行こうよ」
  「ママとがいいの! 一緒に行こうよ〜」
  お嬢様の独占欲はとどまるところを知らない。


■好かれる体質
  お客様がいらして玄関先でお出迎え。
  それだけで足元4箇所刺されてしまった。
  私はかなり好かれる体質。誰に?もちろん「蚊」と「お嬢様」。。。(号泣)
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2006年06月25日

さくらんぼと言えば・・・

寮生時代の思い出話から。

・・・そんなわけで(昨日のBlogを参照ください)寮生時代は伯父、母達からたくさんの
さくらんぼを送ってもらっていた私。
当時同室に曽祖父の家の傍で生まれ育ったルームメイトがいたので、私の部屋は
いきなりさくらんぼだらけ。
気のいいownerは、南国出身のクラスメイト達にさくらんぼを配りだした。

ある部屋にいったときの話。
さくらんぼをもらったのを見た同じ南国の出身者が、いきなり鍋を持ち出して言った。
「ゆでてくるからここに入れて」
「?」
「生じゃ食べられないでしょ?」

嘘じゃない本当の話。
彼女は缶詰のさくらんぼを想像したらしく、それは生では食べられないと思いこんでいた。
慌ててこのまま洗って食べるのだと説明し、事なきを得た。・・・今から20年前の話。
今は空輸も発達したしそんな人はいないと思うのだけど、たまにこういう人と出会うと
うれしくなってしまう。

きっと私の知らないところで、私もこんな過ちを犯しているはず。
誰か私の「それ」を見つけたら、こそっと間違いを指摘してくださいマセ。
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2006年06月21日

こんなことって・・・

かつての上司から、突然電話があった。
久しくご連絡を取っていなかったので、「?」と思いながら応対していたところ、
元同僚の突然の死を聞かされた。 言葉にならなかった。

彼は私と同い年。親会社からの出向だったので、早くして支店長として活躍されていた。
そしてそれまでお姉さま方の多かった職場だったこともあり、入社して最初に
とても喜んで(そしてちょっとえらそうに)私に話しかけてくれた、その笑顔を
今でも忘れることが出来ない。

Sさんは大手流通会社の社員。店長として単身赴任していたそうだ。
彼が親会社に戻ってからというもの、遠方のこともあり殆ど顔をあわせることが
なかった私。今回の訃報で彼は4人のパパになっていたことも初めて知った。
残されたご家族のことを思うと、本当に言葉にならない。
そしてこのような知らせのため、今ではみな辞めてしまったかつての同僚達に
連絡を取らなくてはいけない上司の辛さも胸が痛かった。

奥様やお子様達を残して旅立たれた彼は、どれだけ無念だったことだろう。
今どき珍しい、体育会系のバリバリの熱血社員のSさん。
会社のキャンペーンで、新規&旧得会社との復活取引数を競ったとき、ダントツ
ぶっちぎりで優勝した。
誕生日の寄せ書きのときは、きったない殴り書きの字と自画像で、私を姉さん
扱いしたこと(彼は早生まれだった)
そして3人目のお子さんが生まれたとき、「やっと念願の名前をつけられた」と
うれしそうにお子様のお名前を披露されたこと。

ご一緒したのは飲み会のときくらいしかないと思いこんでいたけど、
同級生という近さからか?いろんなことを思い出した。

働き盛りの世の皆様、くれぐれもお体に気をつけてください。
あなただけの身体じゃないのですから・・・
Sさんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
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2006年06月19日

ああ、びっくりした☆

突然メールが届いた。mixiからのメール。はて??
「たけちゃん」と名乗るその人に、全く心当たりがなかった。

文面を読んでいるうちに、大学時代のクラスメイトであることが判明。
「たけちゃん」と「くま」のギャップは大きすぎた(笑)

かくしてパソコンで再会。
最後にお喋りしたのは4年前?
会わなくなってからは軽く10年経っているというのに、パソコンでは一瞬。
アメリカの空の下、くまは元気でやっているのだろうか・・・?
(やっている、との本人談。 I Think so!)

続きはまた後で・・・
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2006年06月16日

思い出話

今日は姪たちがやってくる日。
今週お誕生日を迎えたRuruと、誕生から丁度100日目を迎えたKouくんのお祝いを
まとめて行うことに。

張り切っていた母だけど急に腰が痛くなったため、当初一人で行く予定だった買い物に付き合うことに。そこで母は節には早い、スイカを購入。

お嬢様のヤマハを終えて帰ってみると、見事にデコレートされたスイカがあった。
父と(父の日の感謝Dayも一緒に決行)主役のRuruはスイカ好き。
結局2人で平らげたと言っても過言ではないかも(笑)


そして食後の後片付けをしていたときに、ふと祖父母を思い出した。

母方の祖父母はスイカ好き。
当時からとても大きいこのスイカ。夏に泊まりに行くと2人で仲良く冷やしたスイカを食べていた。
「スイカを持ってきて頂戴」と言われ、向かった先にはド、ド〜ンと真新しい冷蔵庫。
「どうしたの?」と祖母に聞くと、「スイカを冷やすのに買ったのよ〜」と涼しい顔。
新しい冷蔵庫の中には、真っ二つに切ったスイカの他には何も冷えてなかった。
そして私もキンキンに冷えたスイカのご相伴に預かった。



先日講座終了後に受講生のお一人と1時間くらいお話をした。
そこで教えていただいたことは、「人は二度死ぬ」と言う話。
一度は肉体的に死んでしまうこと。そこで最初の別れが訪れる。
そして二度目の死とは、その人の存在を忘れられてしまうと言うこと。

亡くなった祖父母がスイカ好きだと言うことをふ〜っと思い出したとき、私は幼子に戻った。

たかがスイカ、されどスイカ。
まだ時期はずれの食べ物の中に、私の中の大好きな祖父母がまだ生きて居る気がしてうれしかった。
祖父母達にはまだまだ私たちの中で生きていて欲しいと願っためでたき日。
posted by torefoil company owner at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 9F 屋根裏部屋 -大切な思い出- | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月07日

心残り

ず〜っと楽しみにしていたゆうこちゃんとの再会。
お嬢様がお疲れのこともあり、家においてゆっくりとお喋りできる♪と
密かに喜んでいた私。
・・・しかし現実はそう甘くなかった。

楽しい時間の真っ最中、いきなりその時はやってきた。
「何時に帰ってくるの?」との母の声。
「・・・3時くらいかなぁ?」と私。 すると
「泣いているんだけど・・・」

・・・そうきたか。泣く泣く家路を急ぐ私。
帰ってみるとお嬢様が布団にもぐって泣いている。
得意の(?)質問をしたところ、次のことがわかった。

お嬢様に薬を飲ませながら、
「2時半か3時には帰ってくるからね。(姪達もいるし)すぐだから
この「すぐだから」というところを彼女は「すぐに帰ってくるから」と
聞いてしまったらしい。

人は見たいように見、聞きたいように聞くという。
幼いお嬢様の頭の中で、直結して思い込んでしまったらしい。
なまじ聞き分けのいい子供だから、私も過信していたところがあった。
ここ数日間のお嬢様は、「具合が今ひとつの機嫌悪子ちゃん」だった。

家に帰ってからのお嬢様。私の回りをまとわりついて離れない。
ちょっと見当たらなくなると「ママちゃ〜ん」
お風呂に入ってる間もどこか身体に触れていて、
添い寝をしてても私の身体の下に手を入れてくる。
・・・こりゃかなりの重症だわ(涙)

「明日からの学校、大丈夫かしら?」と、一応親らしい心配をしつつ、
「もっとゆっくりとゆうこちゃんとお喋りしたかった〜」と号泣する私。

ゆうこちゃん、ぜひともスカイプ導入を検討してください。
やはり聞いてもらうことはとっても大事だと感じた、この連休の締め日。
次回またお目にかかれるのを楽しみにしています。
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2006年04月25日

17歳バトン

みくんのところから拾ってきました。 ☆17歳バトン★


★17歳の時、何をしていた?
  友人達とのお喋り、お喋り、お喋り・・・

★17歳の時、何を考えていた?
  「つまらない大人にはなりたくない!」

★17歳で遣り残したことは?
  勉強と男友達を作ること

★17歳に戻れたら、何をする?
  とにかく本を読みたい! そして勉強したい!!
  さらに「17歳の夏休み」を堪能したいと思うのです。

★17歳に戻っていただく5人
  ツボイさん、やまちょさん、hirokoさん、ユウさん、Bettyさん
  どうぞよろしく♪
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2006年04月21日

名簿に見る性格あれこれ

今朝一番に速達で届いた郵便物。
中を明けてみたら同窓会から届いた、クラスメイトの名簿だった。
2月に上京した折、現幹事役の目が泳ぎだしたのを見て、放っておけず
参戦したってわけ。

届いた名簿は懐かしい名前のオンパレード!
今は結婚後の苗字になっているためか、順番はバラバラになっているものの、
それでも懐かしさを誘うには充分のものだった。

ここでちょっと注釈。
自慢じゃないけど私、クラスメイトの中でもかなりの人たちと未だに連絡を
取り続けている方だと自負している。
その私が見ただけでも、更新がなおざりにされている名簿だと思った。
・・・これじゃあ連絡がつかなくなる人たちが出てくるわけだ!

そこで改めて名簿をじっくり見てみると、律儀に住所&氏名変更している人、
あえて?実家の住所を記載していると思える人、
意外にも全くそのままの人(何の変更もしていない人)
実家ではなく、自分の連絡先を同窓会に報告している人

・・・まぁ、知らなかった性格の一部がチラリと見え隠れ。
前職の経験からか?こんなところからも人の性格や行動パターンを
読んでしまう悲しい性だわ☆

ところで・・・
クラスメイトは全部で61人いたはずなんだけど・・・?
60人しかいない??
・・・???あ゛〜〜〜Moto-chanが抜けてる!!
あれ?改めて考えるとクラスメイトって全部で63人じゃなかったっけ??

それからYuki、Emi、Moroの住所なんか、抹消されているもんね!
どうしちゃったのよ〜〜!!

何だか笑えなくなっちゃった。
仕事が増えそうだわ〜〜


22日にわかったこと
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2006年03月29日

桜・桜・桜

東京OL時代のこと。
2年目のそのとき、とても早く桜が開花。
当時みなで集まる機会があったのだろうか?
全社挙げて社員が終結し、その後解散となってそれぞれ「お花見」と称して
散会したことがあった。(よく考えてみたら、入社式だったのかも?)

当時私の会社は、平たく言えばまるで部署ごとに会社形式をとっているような、そんな会社だった。
私は女性専門部門の会社に配属され、見渡すばかり女子といういいんだか?
悪いんだか?の環境での仕事だった。
同期入社は100名。そのうち同じ会社に配属されたのは5人。
内とても仲の良かったYは、理数系学部出身と言うこともあって
他部署(別会社)への出向を命じられていた。

正直私はその女子だけの会社に所属はしていたものの、遊びや飲み会は
Yのいる会社にばかり参加していたので、こうした集まりと言うのは
Yが不在なことも手伝ってか?この私にしては珍しく余り得意ではなく、
機会さえあれば逃げ出すことばかり考えていた。
当然このときも、分散してからいかに早くYのいるところに合流するかが
問題だった。

私の会社では優雅なお食事会(ああ、女性だわぁ〜)、そしてYの出向先会社ではテニス大会。当時は今のように携帯電話などあるわけもなく、待ち合わせ場所や時間に関して、かなり神経質に打ち合わせたにもかかわらず、結局合流できなかった私。抜け出すのに失敗すると、こんなこともざらだった。(涙)
・・・で、一人お花見をして帰った私。
テニスコートに咲く花は、春の日を浴びてとても美しく咲き誇っていた。

あんな暖かな陽気の日には、スーツは似合わない。(特にダーク系)
早くあの暖かな春になって欲しいと、春まだ遅い灰色の空を見上げていた。
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2006年03月14日

正しい[体育会系デート]とは?

この時期になると思いだす人がいる。

その彼は友人の紹介で知り合った。
都心の大学に通っているワンゲル部の彼は、「最近運動不足だから」と
大学から世田谷通りを通って4時間かけて自宅に歩いて帰る人だった。

その彼はとっても紳士的で物静か。
当時毎日会っている女友達と4時間の長電話の記録を持つ私。もの静かな
彼と、それでも2時間くらいは毎回話していたような記憶がある。

基本的に彼はお喋りな私の話をただ黙って静かに聞いてくれた。
おかしなもので自分が話したことの記憶は殆どないが、言葉数の少ない彼の
「4時間歩いて自宅へ帰ったことの話」や「女気のない大学で黙々と
計算していた話」や「登った山の話」などかすかな記憶に残ってる。

友人から紹介されてから1度くらいは会ったのかな?
(・・・確かバレンタインデーの頃会ったと思う)
その後私は「卒業旅行」と称して、友人Cと初海外旅行計画⇒実行や、
卒業式後の謝恩会委員の仕事など抱えていたので忙しく、結局なかなか
会えずじまい。2回目に会ったときは、私の旅行後だったと記憶している。


基本的にニブチンの私。
しかし余りにキャンセル続きの不義理をしていたので本当に
申し訳なくて、旅行のお土産を持って会いに行った私。
そして彼はホワイトデーだからといって、「北海道・バター飴」を
持って来てくれた。

電話では話していたものの、実際に会うとなると話は別。
紹介してくれた友人に会うと伝えたところ、彼女からかなり冷やかされ
晩生な私だからこそ、かなり意識してしまったことも事実。

物々交換(!)の後、結局話すこともなく、「体がなまっている」の
彼の言葉から、なぜか?二人でボーリングに行くことになった。

すでに物々交換の時点でネタが尽きたこの二人。
「ボーリング」という目的を得てからというもの、水を得た魚のように
狂ったようにボールを投げ出した。


ゲームの内容はよく覚えてないけど、1ゲーム目はそこそこのスコアを
出した(と思う)。調子に乗って2ゲーム目。
・・・さすがに疲れてきたようにも思ったけど、気のせいだろうと続投。
そこで彼に大差で負けてしまった私。


で、その後どうしたか?
もうやめようか?の彼の声を制して・・・3ゲーム突入!!
腕は痛いわ、疲れて声は出ないわ・・・ゲームは最悪の事態に。
(その後どうやって家に帰ったのか?全く覚えていない私 たらーっ(汗)

家に帰って冷静に考えれば、体力的にも彼に負けるのが当たり前のはず
なのに、なぜか?「勝ってやる!」の野望と闘志をメラメラと燃やし、
彼に挑み続けた愚かな私。
挙句の果てに2人してヘトヘトに疲れるまで休みなしで続投。
ほ〜んと「おばか」としか言いようがない。


その後、好奇心丸出しの縁談おばさんと化した友人から電話。
「しょうこ、彼とどこいったのよ〜?」(とってもうれしそう!)
「ボーリングを3ゲーム。疲れた。」
・・・この一言で彼女はぶっ飛ぶ。爆笑の後、一言のたまった。
「彼の相手はやっぱりしょうこじゃないとつとまらない・・・」

いえいえ、Sちゃん。
その後ぷっつりと連絡が途絶えましたわ。

聞けばあの日実は熱があった彼は、ボーリングのお蔭で止めを刺され、
帰宅後数日間、高熱を出して寝込んでしまったらしい。
思えば就職までのカウントダウン、彼は無事に出社できたのか?
それ以降の話も全く聴かない。

高熱はゲームのためか?
私に振り回されてのことか??
はたまた女性と付き合うのはとっても大変!と
カルチャーショックを受けたためのか???

・・・それは神のみぞ知る、永遠の謎である。
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2006年03月01日

日々是戦

毎日戦ってます。
ふと気を抜いて、昼食を食べているホンの3分の間にやられました。
余りの暴れん坊ぶりにもううんざりしてます。

(今なら謝恩価格の「○○円!」〜って気持ちにすらなってます。
・・・だれか欲しい人、いませんか?

写真はベッドカバーに落書きをした絵

rakugaki.jpg


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2006年02月23日

誕生日

今日は大学時代の卒論の先生のお誕生日。
実は明日が東京の母(寮監先生)のお誕生日・・・と、私にとって大切な方の記念日が続く。

しばらくず〜っと間違えて覚えていて、それでもまあニアミスということで事なきを
得ていたのだけど、(・・・どういうことだろう??笑)この一日の差は大きい(ハズ!)

東京の母には毎年お花を届けていた。
今年はどうしようか?散々迷った挙句、結局何もしないで終わってしまった。

卒論の先生にも上京していた折には、毎年猫の何かをもって伺っていた。
そして先生の元に訪れる猫のお話を伺うのが楽しみだった。

毎年同じ日に同じことを続けることは、大変だけど素敵なことだと改めて思う。
できない言い訳を探すよりも、やってみることはとても大事。

いつ再開させようか?その理由を探し始める私であった。
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2006年02月19日

Dear My Friends

昨日同級生と会ったことを、実は家族に話さずに上京した私。
「話してない」ことさえ気づかずに出て行った、というのは驚きだが、
それ以上に朝も早くから出て行く私に、何の疑問も持たずに送り出した母。
通常のowner家ではありえない話。
実はそのくらい混乱していると言ういい証拠かもしれない・・・

ま、それはともかく、そんなわけで今日になっていろいろと聞き出されたowner。
わかりやすいK子とSちゃんの話から説明を始める。
(K子とSちゃんは以前、家に来たことがある)

K子はプログラマー時代の同僚と一緒に、スキーにやってきた。
どういういきさつで家まできたのか?覚えてないけど、スキーウェアを着て2階の部屋に
やってきたことだけは鮮明に覚えている。

妹がコーヒーを出したとき、Y君が「う〜ん、人肌にあったまっている」と
「コーヒーにしてはぬるい」だろうと思われる表現を、何気なくしているのを
聞き逃さずに
「何が人肌よ!母乳じゃないんだからさぁ〜」と突っ込みをいれ、
あとからY君から蹴りを入れられていたK子。
もともと声も大きい(良く通る声)ことから、家族の印象は
「何だかとってもうるさかった」と、それはそれは鮮明に残っていたらしい。

その彼女がクラス会の幹事になっている。
相変わらずのキレのいい突込みを入れていたのだが、クラス会の話を振った途端
ドモり出したのには驚いた。
すかさず「なんか手伝えること、ある〜?」と聞いたところ、
まるで子犬がすがるような目をして私を見てきた
(あの瞬間、K子が超サポーターであることに気づいてしまった私。
 そっかそっか・・・ じゃあなかなか進められないわね〜)

そのK子とはルームメイト以外の最初の寮での友人だと話すと、母も妹も
かなり驚いていた。 ・・・そりゃそうだ、話してないもの(笑)

見かけとは裏腹な性格なのに、なぜか?派手に見られることが多かった彼女は
外出の度に東京の母(寮監先生)に言われていた言葉があるという。
「K子さん、渋谷で知らない男の人について行っちゃダメよ」
・・・今となっては真偽の程は?だけど、言いかねない東京の母と、言われかねないK子の
双方のキャラを知っているだけに笑える。


Sちゃんは「いつか安達太良山に登ろう!」という約束をしてから10年目にやってきた。
ワンゲル部だった彼女は張り切って登山用の携帯コーヒーセットまで持参でやってきた
にもかかわらず、我が父の「今日は吾妻山が気持ちいい」という一言で結局未だに
約束は果たせてない。

Sちゃんは何度か福島に来てくれているのだけれど、双方の思い出が食い違ってて
かなりお間抜けな会話をしていた。

S「コーヒーやさんに連れて行ってもらったよね〜」
私「・・・?そうだっけ??」
S「え〜?いったよ〜〜」
私「そのコーヒーやさんって、どんな外装だった?」
S「良く覚えてないけど、三春のほうでさぁ〜」
私「・・・そんなところにあるコーヒーやさん、知らないし連れてってないよ」

私「Sちゃんとキャンプ村に泊まったじゃない」
S「へ?Shokoと2人で? そんなはずないよ。Shokoと2人でなんてありあえない!」
私「泊まったよ〜 貴賓室みたいな仕様のところにさぁ」
S「・・・そういえば写真があったような・・・? でもなんで行ったんだっけ?」

私「飯坂温泉にとまったことあったよね〜」
S「それは覚えてる! とがしがきてくれてさぁ〜」
私「とがし??何でいるの??呼んだっけ?」

そんな頓珍漢な会話を聞いていた友人が一言ボソリ。
「あんた達、何ボケ老人の会話してんのよ〜」
・・・う〜ん、確かにボケ始めた老婆が二人、思い出探しをしているようだ。


最初のうちは「大変なこの時期に、全くマイペースに行動するんだから!」と、
どこか怒りモードが入っていた母。
しかしそんな楽しかった昨日の話を聞いてたら、次第に顔がほころんできた。

破天荒な友人達が私の宝物。
また上京の折には会える人だけでもぜひ会いたい!
そんな思いを新たにまた田舎での生活が始まる私。
元気になって戻ってきたのを見て安心して、そしてまたの機会のときに気持ちよく
送り出してもらえるよう、私もがんばろ〜っとるんるん
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2006年02月18日

懐かしい顔・顔・顔

突然ですが、上京した。
目的は「医療コミュニケーション・フォーラム」に参加するため。
それは午後からだったけど、その前に今度Tokyoを離れてしまう友人と会うことになった。
彼女は2月一杯で仕事をやめ、ご主人と一緒に新しい土地で喫茶店を始めるらしい。

以前から「もうなかなか会えないから上京してきなよ〜」とラブコールをもらって
いた私。「たまに仕事がらみで行っているんだよね〜」と答えたら、忙殺スケジュール
を何とか調整して会いにきてくれることになったわけ。

最初は「改札口で出迎えるから。朝食を軽く食べて〜」と言われていたけど、
前日の夜に突然「やっぱり10時に」とのメール。
時間は何とでもつぶせる私だけど、それでも1時間半の待ちはつらいなぁ〜と
思っていたところに、ちりりんさんからスカイプ。
やはり同じ日に上京するとのこと。
「ならばご一緒に〜♪」と提案し、結局新幹線を1本遅らせることにした。

ちりりんさんとの有意義な時間を過ごした後、待ち合わせの場所へ。
友人は他に3人の同級生を呼んでくれた。
待ち合わせの場所へ行ったのは、もちろん私が最初。

ま〜細かい話は内輪受の話になるのでここでは割愛するも、
相変わらずのドタバタぶりには大笑い。
以前よりも自由に連絡を取ったり、いろんな企画が出来るようになった身としては、
心置きなくこんな隙間時間の会合も楽しめるから不思議。


肝心の上京の目的だった「医療コミュニケーション・フォーラム」については
後日改めてご報告。


Mika・ちーへの伝言
 今回の幹事役から一部業務を引き継いで、私が行うことになりました。
 近いうちに実現させるから、協力よろしくね♪
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